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大学院教育 その恐るべき実態

  • 博士課程は引き返せない道
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    絶望振りに共感するものがあったので、紹介します。

    ~ 訣別 ~

    結局私が3年間で得た有益なものはなにもなく、ただ莫大な借金だけが残った。その一方、社会的信用、人への信頼、サイエンスへの夢、.....失ったものがあまりにも多すぎる。もはやサイエンティストの世界には絶対戻りたくなかったが、それでも私が残した仕事については破棄するつもりはなく、残して行くつもりだった。これは私が心血を注いできたものであり、まさに私の魂の一部であったので、叶うことなら後進に引き継いで貰いたいと考えていた。だから私が書いた論文は、私の名前を入れないことを条件に●に預けていたし、私が取ったサンプルを引き継ぐ約束をし、その整理もやりつつあった。

    しかし、●が「疲れた。」を最後に応答を断ってから間もなく、研究室の冷蔵庫の私のサンプルが全て消えてしまった。このことを、一方的に交信を断ったことと併せて考えれば、●が取るもの(論文)も取り上げたら、もはや私を用無しと見切り、また復帰することができなくするために処分したのだと考えた。

    私は●に抗議をし、その回答を待った。もしかすればそれが何らかの理由で、サンプルは別の場所に保管されているかもしれないと考えたからだ。しかし、●は全く応えてくれなかった。私は一月近く廃棄されていないことを願いその回答を待ち、サンプルをサポートするデータやノート類を保管していたが、全く応答すらしてくれなかったため、いよいよ岡崎を離れる当日に3年間のデータ類全てを廃棄することを決めた。

    引越が全て終わって下宿を離れる直前、最後の最後に私は自分の仕事をゴミ捨て場に置いた。復帰しようという意志は微塵もなかったので、データを廃棄すること自体には未練はなかったが、さすがに魂を削られるような気分がしたし、私の3年間は何だったのだろうと再び思いだしてしまった。ゴミ捨て場をもう一度振り返り、これでこの世界とは訣別するのだと言い聞かせた。もうこれまで哭くだけ哭いたと思っていたが、無駄になる3年間が走馬燈のように思い起こされて、涙を抑えることができなかった。 

     それから1時間ほど後、私は列車の車窓から岡崎の町並みが遠ざかっていくのをただ一人呆然と見送っていた。丁度その時、●は私の同級生の小囃と超さんを伴って学位授与式に参列していた。程なく「若手科学者10年プータロー論」の●は、お気に入りの小囃を特別奨励研究員に採用した。
     
    (●=基生研生殖研究部門N教授)